ガイコツ [鉄道(模型)]
とは言っても、今回はいつものSkullネタではない。小田急
9000形通勤電車の事である。
マイクロエース 小田急9000形
手摺りの造りが如何にもマイクロエース的である。
この小田急9000形は1972年から1977年にかけ、90両が製造
された小田急の通勤型電車である。それまでの2400形や5000形
のような、所謂当時の"小田急顔"とは一線を画したデザインは、
小田急顔全盛時代の中にあって異彩を放っていた。
1段奥まったフロントガラスと、その下に丸型ライトを配置した
個性的なデザインから、親しみを込めて"ガイコツ電車"と呼ばれ
ていた。
このデザインは、小田急社内において新型電車である事を
アピールする為、今までに無い新しいデザインを各車輌メーカー
に依頼した結果、東急車輛のデザインが採用されたのである。
何でも本来は東京急行電鉄向けとして進められていたデザイン
であったとか。
戸袋窓は実車同様ブルーになっている。
小田急は私が高校時代に通学で毎日乗っていた。当時は所謂
5000形に代表される"小田急顔"の全盛期であり、9000形はその
中で強烈な異彩を放っていた。その広いフロントガラスと腰部の
高さに配置されたライトは、他の私鉄には見られない個性で、9000形
が来ると遠くからでもすぐそれと分かったものだ。
個人的に小田急といえば、やはり5000(5200)形に一番馴染み
があるのだが、小田急を利用していた当時の事を思い出すと、
やはりこの9000形が真っ先に思い浮かぶから不思議だ。
高校を卒業して以来、小田急は数えるほどしか利用していない。
既にこの9000形も2006年に営業運転から退き、現在は喜多見
検車区にデハ9001が静態保存されているのみである。
毎日利用していた上に、その気になれば何時でも乗れる電車
でもあったので特に気にしていなかったのだが、ふと気づいて
みれば、9000形は営業線上から姿を消してしまっていた。
小田急9000形通勤電車。それは私の高校時代の思い出と共に、
今では記憶の中と模型の世界だけの存在である。
9000形通勤電車の事である。
マイクロエース 小田急9000形
手摺りの造りが如何にもマイクロエース的である。
この小田急9000形は1972年から1977年にかけ、90両が製造
された小田急の通勤型電車である。それまでの2400形や5000形
のような、所謂当時の"小田急顔"とは一線を画したデザインは、
小田急顔全盛時代の中にあって異彩を放っていた。
1段奥まったフロントガラスと、その下に丸型ライトを配置した
個性的なデザインから、親しみを込めて"ガイコツ電車"と呼ばれ
ていた。
このデザインは、小田急社内において新型電車である事を
アピールする為、今までに無い新しいデザインを各車輌メーカー
に依頼した結果、東急車輛のデザインが採用されたのである。
何でも本来は東京急行電鉄向けとして進められていたデザイン
であったとか。
戸袋窓は実車同様ブルーになっている。
小田急は私が高校時代に通学で毎日乗っていた。当時は所謂
5000形に代表される"小田急顔"の全盛期であり、9000形はその
中で強烈な異彩を放っていた。その広いフロントガラスと腰部の
高さに配置されたライトは、他の私鉄には見られない個性で、9000形
が来ると遠くからでもすぐそれと分かったものだ。
個人的に小田急といえば、やはり5000(5200)形に一番馴染み
があるのだが、小田急を利用していた当時の事を思い出すと、
やはりこの9000形が真っ先に思い浮かぶから不思議だ。
高校を卒業して以来、小田急は数えるほどしか利用していない。
既にこの9000形も2006年に営業運転から退き、現在は喜多見
検車区にデハ9001が静態保存されているのみである。
毎日利用していた上に、その気になれば何時でも乗れる電車
でもあったので特に気にしていなかったのだが、ふと気づいて
みれば、9000形は営業線上から姿を消してしまっていた。
小田急9000形通勤電車。それは私の高校時代の思い出と共に、
今では記憶の中と模型の世界だけの存在である。
2010-05-16 14:31
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